支那派遣軍

2016.05.13.17:01

支那派遣軍は、大日本帝国陸軍の一総軍です。
支那事変解決を目的として編成され、支那大陸(中国戦線)の全陸軍部隊を統括しました。

Wiki.を参照に説明を加えます。
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昭和12年(1937)7月、盧溝橋事件勃発後発生した第二次上海事変への対応として上海派遣軍が編成され、続いて盧溝橋事件への対応として支那駐屯軍が方面軍たる北支那方面軍に格上げされた。

同年10月には上海への増援として第10軍が編成され杭州上陸作戦を行い、同月、上海派遣軍と第10軍の上級司令部として中支那方面軍が編成された。
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そして南京攻略戦により首都・南京は陥落し、中華民国国軍を追い払い、南京城内は派遣された大日本帝国陸軍により平定されます
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昭和13年(1938)2月の南京陥落後、中支那方面軍は隷下の両軍を含めて中支那派遣軍へと再編成された。

こうして中支那派遣軍と北支那方面軍が中国大陸方面での作戦に当たり、昭和14年(1939)9月に両者を統括する「総軍(総軍の編成は日露戦争における満州軍以来)」として大陸命362号に基づき支那派遣軍を編成した(これに伴い中支那派遣軍は廃止)。
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ここまでが、南京戦との関わりです。
首都陥落は日本軍の勝利となり、支那事変もしくは大東亜戦争の支那戦線の終焉が迎えられれば時局は好転したかもしれません。
しかし戦果を上げる支那派遣総軍は大日本帝国の運命を背負って大陸での陸戦を続けることとなります。
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大東亜戦争開戦時には、緒戦における一連の南方作戦のうち香港攻略戦を支那派遣軍(隷下第23軍)が担当し、以降敗戦に至るまで中国方面の作戦に当たった。

この戦下で、日本軍が太平洋で大攻勢が出来ないように連合国軍側は支那派遣軍を中国大陸に釘付けにさせる戦略方針をとったが、支那派遣軍は釘付けにされつつも戦術的には蒋介石率いる国民革命軍に勝利を重ねた。

終戦間際の昭和20年(1945)8月11日、岡村寧次第3代支那派遣軍総司令官は「百万の精鋭健在のまま敗戦の重慶軍に無条件降伏するがごときは、いかなる場合にも、絶対に承服しえざるところなり」と陸軍中央に電文を送っている。

終戦時、支那派遣軍の総兵力は105万を数えた。
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支那派遣軍概要
通称号:栄(栄集団)
軍隊符号:CGA
編成時期:昭和14年9月12日
最終位置:支那南京
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総司令官
初代 西尾寿造:昭和14年9月12日~
二代 畑俊六:昭和16年3月1日~
三代 岡村寧次:昭和19年11月23日~
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