東中野修道氏著〈南京大虐殺は戦争プロパガンダだった〉

2016.08.27.17:29

南京大虐殺は戦争プロパガンダだった東中野修道(亜細亜大学教授) 月刊「日本の息吹」平成18年8月号

『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』を書き終えて

東京裁判で死刑とされた松井石根大将の唯一の罪状とされた「南京大虐殺」。その論争はいまだに続いているが、その”南京大虐殺”の決定的証拠とされてきた本『戦争とは何か』。しかしそれが国民党の宣伝文書に過ぎなかったことが国民党の極秘文書「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」の発掘によって明らかとなった

”南京大虐殺”登場の経緯今日のように南京大虐殺がわが国の歴史教科書に記載されたのは一九八〇年代からである。昭和四十七年(一九七二)、日中共同声明により日中国交が回復してから、約十年後のことであった。

南京大虐殺は昭和二十一年(一九四六)の東京裁判で断罪されたものの、その後長い間、教科書にも記載されなかった。この間、南京陥落から約四十年、「南京大虐殺など見たことも聞いたこともない」という関係者が殆どで、しかもご存命で、それを歴史事実とするには無言の批判があったかのようである。明らかに、万人を納得させる証拠に欠けていた。

ところが、一九八〇年代に、南京で虐殺があったと記す当時の記録が発掘される。それが陥落直後のアメリカの新聞記事「南京大虐殺物語」であり、陥落七ヶ月後に出たハロルド・ティンパーリ編『戦争とは何か――中国における日本軍の暴虐』であった。それを根拠として、南京大虐殺が主張され出したのである。

では、なぜ『戦争とは何か』が決定的な根拠とされたのか。編者は上海にいたティンパーリ記者であった。彼は戦争の悲惨さを力説していた。そしてその本の全八章のうちの最初の四章は、南京在住のアメリカ人が身に危険の及ぶのを避けるという名目のもと匿名で書いていた

つまりこの本は南京の第三者的立場からの已むに已まれぬ告発と思われた。日本軍入城後の最初の二十日間が問題とされたが、南京では陥落後「度重なる殺人」が起きて、「勝利した軍は当然、報酬を受けねばならない。その報酬というのも、略奪・殺人・強姦を意のままにすることである」などと書かかれていた。

やがて匿名の執筆者も判明する。マイナー・ベイツ教授とジョージ・フィッチ師であった。ベイツ教授は、東京裁判で四万人虐殺を主張したその人であり、東京裁判時と変わらぬ主張を南京陥落当時も記していたから、長いあいだ埋もれていた当時の真実を伝える記録がついに出てきた、と考えられたのである。

この種の本を、誰が疑うであろう。私もこの記録を読んだとき、もはや検証は不要かと思ったものだ。しかし、その一方で、南京戦に参戦された日本軍将兵や、南京戦に従軍したカメラマンや記者たちの、「南京大虐殺など見たことも聞いたこともない」という証言が、心の片隅に残ったままであった。

国民党宣伝部の戦争プロパガンダだった『戦争とは何か』

それから四半世紀が経った今、台北の国民党党史館から国民党中央宣伝部の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』(一九四一)が出現した。この極秘文書は、国民党宣伝部が日本を貶めるために推進してきた秘密工作を内部報告していた。そして日本軍の南京占領にかんする国民党政府の歴史認識をも記していた

それによれば、国民党宣伝部は南京戦後に日本軍の暴行を暴くことを最優先課題としていた。その宣伝工作の成果として『戦争とは何か』が宣伝本として製作されたことが記されていた。

今日南京大虐殺の決定的根拠と言われる『戦争とは何か』は、あろうことか、国民党宣伝部の製作した戦争プロパガンダであったのだ。極秘文書からは、この宣伝本を作るべく様々な秘密工作を展開していたことが分析される。そのことや、アメリカの新聞記事が虚報であったことについては、新著の『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』(草思社)に詳論しているので、本稿では割愛する。

ここでは私たちが南京大虐殺を論ずるうえで足枷となってしまう東京裁判におけるベイツ教授の証言を問題にしたい。私たちが『戦争とは何か』を高く評価した最大の理由は、ベイツ教授が南京大学の歴史学教授で、南京では有名な宣教師であったから、何にも左右されない社会的地位のある人物として、まず信頼したことにあった。その証言が一貫していたことがますます私たちの信頼を深め、それは真実と思えたのである。

ところが、ベイツ教授は、実は中華民国政府の顧問であり、第三者的立場にはなかった。国民党宣伝部の顧問であったティンパーリと手紙で連絡をとりながら、宣伝本の『戦争とは何か』の製作に携わっていた。その編集には国民党宣伝部から資金が流れていた

そしてまたベイツ教授の主張も一貫していなかったのである。確かにベイツ教授は『戦争とは何か』に、「埋葬による証拠の示すところでは、四万人近くの非武装の人間が南京城内または城壁附近で殺され、そのうちの約三〇パーセントはかって兵隊になったことのない人びとである」――これを「日本軍(四万人)不法殺害説」と略す――と書き、この持論を東京裁判でも証言していた。その主張は一貫していたかのようであった。

ところが、そうではなかった。国民党宣伝部が『戦争とは何か』の漢訳版から、この「日本軍(四万人)不法殺害説」の一文を削除したとき、また国民党政府軍事委員会に直属する特殊機関としての国際問題研究所が四度転載して四度削除したとき、ベイツ教授はその削除に同意していた

それは、ベイツ教授も「日本軍(四万人)不法殺害説」を否定していたことを意味する。これを分かり易く言えば、国民党政府やベイツ教授は「日本軍(四万人)不法殺害説が抜け落ちていますよ」と指摘されて、「四万人殺害どころか、不法殺害の事実が認められなかったから、それは間違っているので、わざわざ削除したのです」と五度も答えているのと同じなのである。

一九八〇年代から信じて疑われなかった南京大虐殺は、戦争中日本軍を貶めるために作られた、シロをクロと言う戦争プロパガンダだったのである。その隠された真相が今ようやく明らかになったという思いである。
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